こんにちは、今回はエストニア第二の都市タルトゥでカウチサーフィンをした時に、そこに居た人プロテスタントの原理主義者の人に突然宗教がらみで高圧的な言葉を浴びせられたおもしろエピソードをお伝えします。面白かったのは私だけかもしれませんが。

タルトゥでは何度かカウチサーフィンをしたのですが、その時に寮のよう部屋で様々な人と相部屋になって寝ることがありました。その部屋の中に居た一人がウクライナ人のプロテスタントの男性でした。

 

人生初の宗教原理主義者との邂逅

 

朝起きてパンを食べているとそのプロテスタントの男性が気さくに話しかけてきました。

 

プ「やあこんにちは。」

僕「こんにちは。」

プ「僕の宗教はプロテスタントなんだけど君の宗教は何?」

僕「う〜ん、仏教かなあ。神道かもしれないけど。」

プ「つまり、無宗教ってことだね。」

僕「そうだね。まあ特別に帰依してる宗教は無いから無宗教かもしれないね。」

プ「なるほど君は無宗教か。じゃあ死んだあと地獄に堕ちるってことだな。」

「は?」

プ「プロテスタントの6つの儀式(戒律?ここ数字以外はっきり覚えてない)をしない者は全員死後地獄に堕ちるんだ。」

僕「え、じゃあ僕は地獄に堕ちるの?」

プ「そうだ。君は地獄に堕ちる。」

僕(なんだコイツ?初対面の人に真顔で「地獄に堕ちる」とか失礼すぎるだろ。)

 

ちなみに彼は外国人である僕を馬鹿にするために意地悪な質問をしているのでは無くて、説き伏せる様な口調で質問をしてきました。

初対面の人間を不愉快な気持ちにさせるなんて人として失礼な奴だなと思いながらも、話を聞き続けることにしました。

 

僕「じゃあ?イスラム教徒はどうなの?」

プ「イスラム教徒?もちろん地獄に堕ちる。」

僕「じゃあ?ヒンドゥー教徒は?」

プ「もちろん堕ちる。」

 

話を聞き続けて思いました。やはり彼は自分が信じているもの以外全てを否定する原理主義者のようでした。「異教徒は絶対に認めない。」と。

じゃあ「宗派」はどうなんだ?と思いました。

 

僕「それじゃあ、同じキリスト教のカトリックは地獄に堕ちるの??」

プ「んぐ・・・それは・・・・」

 

彼が突然言葉に詰まりました。この質問を予想していなかったのでしょうか。彼は苦し紛れに言いました。

プ「・・・カトリックも・・・・3つの儀式(詳しくは覚えてない。儀式や戒律的な何か。)をするので天国に行ける・・・・」

さっきまでとは打って変わって彼は複雑な表情を浮かべていました。

僕「ちょっと迷ってたけど(君の頭の中では)カトリックも行けるのか・・・(困惑)」

 

 

プ「ま、とにかく僕はもう出かける時間だから!」

僕「そうなの?せっかくだから記念に写真撮っても良い?」

プ「写真なんて撮りたくもないね!」

 

そういうと彼は不機嫌そうな顔で寮を出ていきました。

 

僕「一体なんなんですか彼は・・・?」

同居人「彼は・・・なんというか・・・とてもクレイジーなんだ・・・」

僕「そう・・・彼はクレイジーなんだね・・・」

 

無宗教の国で宗教原理主義者をやることの滑稽さ

彼は非礼でした。初対面の人間に対する態度としてはとても非礼でした。ヨーロッパに居た期間、道端で黄色人種であることを揶揄して来た人物(いわゆるレイシスト)には片手で数えるほどしか出会っていませんが、そんな馬鹿な彼らよりも知性的には賢いにも関わらず・・・

 

エストニアはヨーロッパでも5本の指に入る無宗教の国です。

そんな無神論者だらけのエストニア人の中で、彼は1人プロテスタントの原理主義を貫いて、いつも他人に信じている宗教を訊ねて、異教徒だった場合にそれを腐す発言を繰り返しているのでしょうか?普段からそんなことを考えてクサクサしているのでしょうか?何が彼をそうさせてしまったのでしょうか?

いずれにしても、彼にとっての本当の問題は「近くに異教徒が居ること」では無さそうです。つまりこれは宗教の不一致の問題ではありません。

彼自身のアイデンティティーの問題だと思います。

外国人としてマイノリティーとして異国で生きるということの難しさだったり、経済的な問題だったり、ウクライナから単身エストニアに来てマイノリティーとして暮らすのは大変だったり。まあそこは人それぞれだと思いますが。彼自身が克服すべき問題を抱えていてああいう風になってしまったのだと思います。

いずれにしても生まれて初めて原理主義者を目の当たりにして、ああこの問題は根深いなあと思ってしまいました。イスラム過激派もそうですが、過激な宗教思想に染まっていった人は、須らく共通した個人的・社会的問題を抱えています。その個人的だったり社会的だったりする問題の問題設定のボタンを(僕からすると)掛け違えることによって、次第に宗教的対立心に目覚めていくのかもなあとも思います。

とにかく、今回の一件で宗教対立や原理主義が生まれる瞬間を肌で感じた気がしました。ある意味とても貴重な体験でした。

 

 

 

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