こんにちは。
今回はエストニアのタリンで2016ニューイヤーカウントダウンに参加した時のことを書きたいと思います。
きっかけはエストニア人との家主との会話
当時私はAirbnbでタリンにある家に長期滞在していました。
私「年末年始って何かイベントないの?」
家主「タリン自由広場で年越しイベントがあるよ!ぜひ行くと良いよ!」
私「ほーん。じゃあ行ってみようかな?」
ちなみにタリン自由広場とはエストニア人にとってはタリンの独立を象徴するとても大事な場所であります。
タリン自由広場の写真
タリンの独立の象徴自由広場(Freedom Square/Vabaduse väljak)
タリンの大きな催し物は大体ここで行われています。国旗の左の道を進むとそのまま旧市街に繋がっています。
そして僕にとっては、エストニアの地に降り立ってすぐに地元メディアにインタビューされた思い出の地でもあります(笑)
エストニアどうでしょう③ エストニア滞在二日目に突然インタビューされて現地の新聞に載った話 | STORYS.JP(ストーリーズ)
大晦日の夜、自由広場に向けて出発
乗るのは市バスです。だいたいタリン市内のどこからでも市バス1本で中心部に行けます。自由広場はタリンの中心部の旧市街にあるので1本で行けてしまいます。
普段とても静かなエストニア人でも、さすがに大晦日だけは騒がしかった。
エストニアの車内はおそろしく静かです。よく日本の満員電車もすごく静かだと他の国の人達から言われますが、エストニアはもっと静かです。そういう静かで大人しい国民性なのです。
ですが、この夜だけは違いました。いつも物音一つ立っていないバスの車内で人が喋っていました。あまりの普段とのギャップに笑ってしまったのでそのまま動画を撮ってしまいました。
普段は無音なんです。だからエストニア人たちが車内で話しまくっていたのに本当にびっくりしてしまいました。
自由広場近くのバス停に到着
自由広場近くのバス停に着きました。ここから自由広場まで少しだけ歩きました。
続々と自由広場に向かっていく
どんどん
着いたー!
人でごった返してる
イベントを盛り上げるDJ
ブース上でDJがEDMを爆音で鳴らしていました。エストニアに居る時思いましたがエストニア人の音楽のセンスって良いんだなと思うことがよくありました。こういう時の選曲が気が利いているというか。4つ打ちが聞こえてきたらとりあえず身体が動いちゃうみたいなそういう土壌がある気がしました。音楽に対してノリが良いというか。やっぱりヨーロッパと言えばダンスミュージックの本場だからでしょうか。
クラブミュージックと言っても最近のものしか知りませんが、たとえば今のEDMの源流は2000年以降のフランス・ドイツ・オランダあたりなのかなと個人的には思います。なのでヨーロッパのエストニアの人たちもすごく自然に音楽に乗っていくようなそんな印象を受けました。僕もそこまで詳しくありませんがクラフトワークとダフト・パンクを生んだ地域なので。あと最近だとZEDDも。特にダフトパンクには本当に衝撃を受けたので
高台へ
カウントダウンの時間が近づいてきました。みんな高い所に登っていくので僕もついていきました。
登る登る
モニュメントも輝いています。
ちなみに階段を登ったところに日本大使館があります
高台に登ると、ものすごい人!
ほとんどフェスだこれは。
カウントダウン開始
高台も人でぎっしり、将棋倒しになりそうになりながらも新年を待ちます
花火が上がりはじめました。
キター!
キタキター!
キタキタキター!(というか打ち上げてるのほぼ僕らが居る所の真上やん!)
旧市街の建物への照り返しがすごい
みんな空を見上げます
たまや〜
カウントダウンは終わり無事2016年を迎えましたが
DJのプレイが鳴り響きく中、新年を祝う人たち
空に飛ばす気球。新年のお祝いごとかな?
壁に映し出される2016年
そしてお祭り騒ぎなので、やはり救急車にかつぎこまれる人や
警察に声をかけられている人もいました。 大騒ぎになると起こることはどこも一緒ですね。怪我がなかったら良いけど(^_^;)
新年が明けた直後も、旧市街はいつもどおり
年明けのラエコヤ広場(市庁舎広場)
新年早々演劇場に集まる人たち。エストニアは演劇も盛んです。
お祭り騒ぎから家に帰る
新年を祝うのはエストニアでも日本でも一緒なんだなーと思うと同時に、やっぱり音楽に対するノリの良さとかはヨーロッパだなーと思ったりいろいろなことを感じました。
帰りは同じ路線バスに乗って家に帰りました。
帰りのバスが突然知らない住宅地で停車して他の乗客がみんな降りていったり(結局バスの運転手はすぐに戻ってきました。なぜか乗客は戻ってきませんでしたがw)
マイナス9度の屋外でずっと立っていたので風邪を引いたり、寒さでiPhone5が止まったりしました。それでもエストニアで面白い体験が出来たと思いました。
帰ると家主が親族を招いてパーティーをしていました。この人はロシア系の家主でしたが親戚はサンクトペテルブルクから来たそうです。
こんな感じでエストニアの2015年は終わりました。
(おわり)
当ブログのエストニア滞在記シリーズは下の画像をクリック
https://selohan.com/category/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A2/