こんにちは。
前回に引き続きラトビア編です。2015年の10月の出来事です。
前回
今回はラトビアにある城の町スィグルダ(Sigulda)へ行きました。
スィグルダについて
- ラトビアから東へ50km
- 人口は10603人
- リヴォニア帯剣騎士団の建設した城がある
ここでも出ましたね。リヴォニア帯剣騎士団。リヴォニアとは中世時代にラトビア北部からエストニア南部にかけて存在した国の名前です。
前回エストニア南部に行った時も出てきましたね。
過去記事
リガからバスに乗ってスィグルダへ。現地に着くともう夜でした。地元のボードゲーム制作家のガティスさんと落ちあって案内してもらいます。
ガティスさんは日々オリジナルのボードゲームを作っているボードゲーム作家です。
ガティスさん
またガティスさんの従兄弟は冬季オリンピックのリュージュのメダリストだったりして、中々すごい一族の方です。
オリンピックやリュージュの世界大会、ヨーロッパ選手権でメダルを取りまくっています。
従兄弟のユーリスさんのウィキペディアはこちらです。
Juris Šics
https://en.wikipedia.org/wiki/Juris_%C5%A0ics
めちゃめちゃメダル取ってる!
やっぱり国のサイズが200万人と小さいので、国の大物みたいな人と出くわす確率も上がりますね。
ホストのガティスさんと車内で話ながらスィグルダ城へ向かいます。
ガティスさん「日本人なのに、君は英語うまいね。」
僕「ありがとう。世界から見たら僕の英語は初心者レベルだと思うけどね。でも確かに日本人で英語話せる人は少ないね。」
ガティスさん「そりゃ日本人は英語喋る必要ないからじゃない?経済的に。」
確かに。日本は戦後ずっと作った物が海外にどんどん売れてお金が入ってきていたので国民一人ひとりが英語を話す必要はありませんでした。
最近日本でも英語を話そうという機運が高まっているのは、グローバル化で多様な方法で外貨を獲得するために、日本人一人ひとりが他国に活躍の場を求める必要が出てきているからでしょうか。
そんな身の上話をしていると、スィグルダの名所「スィグルダ城」に着きました。
すごい中世感
鎧の騎士が飛び出してきそう
ラトビアはウインタースポーツが盛ん。 リュージュのコースを見学
ガティスさんの従兄弟がリュージュのメダリストだと書きましたが、それほどラトビアではウインタースポーツが盛んです。
平昌オリンピックの時に、ジャマイカのボブスレーチームが日本製の下町ボブスレーをキャンセルしてラトビア製のソリを使うというニュースがありましたが、ラトビアではこれほどにウインタースポーツが盛んなんですね。やはり寒い国なので歴史と伝統があるようです。
立ち寄ったリュージュのコースではたくさんの子どもたちが練習していました。
スィグルダにあるリュージュのトラック
Wikipediaによるとスィグルダでは1887年からソリ競技が行われているそうです。長い歴史があるんですね。
このコースではスケルトンやリュージュのワールドカップが行われたことがあるそうです。
女の子がスタートする直前
子どもたちがどんどん滑っていく
それを見守る保護者の方々。日本で言う所のスイミングの習い物みたい
どんどん子どもたちが滑っていく
「君も滑ってみる?」と言われたけど怖すぎて無理です(^_^;)
所変われば色んな文化があるんだなあ
この後ガティスさんの家に泊めてもらってこの日はおしまい。
翌日
ガティスさんのお子様。外国人にも物怖じしません。それにまだ小さいのに何カ国語も喋ります。すごい!母国語のラトビア語や国際語としての英語ロシア語はもちろん、最終的には隣国のエストニア語やリトアニア語も話せるようになるそうです。
リトアニア語はラトビア語と近いと言われていますが、エストニア語はラトビア語とは語族が異なっていて、フィンランド語の方が共通点が多いです。エストニア語はウラル語族。ラトビア語はインドヨーロッパ語族です。ということは、隣国なのに結構違うってことです。
ガウヤ川(Gauja)
ガウヤ川を望みます。絵葉書になるロケーションだそうです。
山はスキー場になってます。
リフト
近くの空き地で写真を撮りました。
バルト三国と言えばコケ
広い
仲睦まじいですよね
これもすごく良い。なんだか泣けてくる。
料理もいただきました。ポークビーンズでした。ベーコンの味が効いていておいしい!
ラトビアでもサウナ
バルト三国と言えば、北欧といえばこれ。サウナに入りました。他に色んな人も参加して山奥にあるサウナにみんなで行きました。
もう燃え上がっています。準備OKです。
そしてこれです。もう全裸がデフォルトです。
スィグルダは終わりです。今夜はまた別のホストの方「ミクスさん」に泊めていただくことになりました。
通りかかったリガの中心地
(つづく)