2015年の12月初頭。ロシア東端の街、ナルヴァ(Narva)に行きました。
ナルヴァについて
ナルヴァ(Narva)はエストニアの最東端、ロシアと国境を接する街です。ナルヴァの街が特徴的なのはロシア系住民が多いということです。なんとおよそ88%がロシア系住民です。圧倒的ですね。
また、ナルヴァには昔「バルト海の真珠」と呼ばれるほどのタリンにも劣らない美しい旧市街があったとのことですが、第2次大戦で全て焼き払われてしまったそう。悲しすぎる。無茶苦茶だ(T_T)
ナルヴァの位置
ナルヴァに行く準備
ナルヴァに行く前に外務省のホームページの安全情報を読むと少し不穏な文章が・・・
要約すると「ナルヴァにはロシア系住民しかいないから英語が通じない可能性がある。トラブルになったら困るぞ。」ということでした。
:D ← 私
:D「観光するだけで用心が必要なレベルなのか?」
:D「まあ外務省安全情報のページの地図に色はついてないし大丈夫でしょ。」
:D「なにより『地球の歩き方』に普通に観光情報載ってるし。」
:D「これを逃したら、もう一生ナルヴァに来ることはないかもしれないぞ。」
という自問自答を繰り返しましたが結局ナルヴァに行くことになりました。
ナルヴァまでのバスチケットを買う
という訳で今回も出ました!エストニア名物の激安バスチケット!
200km以上走って片道たったの3ユーロ!安い!
その代わり出発が少し早い時間になりますが。まあめちゃくちゃ早いわけでもないので大丈夫でしょう。
ちなみにエストニアでのバスや長距離移動手段の格安な行き方は以下の記事を参考にしてください〜。
タリンのおうちの猫にお別れ
タリンで長期滞在していたAirbnbのおうちの猫にしばしの別れを告げてナルヴァへ向かいます。
じゃ〜ね〜行ってくるわ〜。
過去に書いたStorys.jpの記事
世界中どこの国に行っても話す言葉に関係なく話し相手になってくれる「猫」という素晴らしい存在について | STORYS.JP(ストーリーズ)
起床。いざ出発
起床してバスに市バスに乗り込むと無事タリンバス乗り場に到着しました。
タリンバスステーションに着きました。建物が新しい。そして外は真っ暗
気温は5度。北国で12月であることを考えれば余裕?まだ冬が始まったと言えないような気温です。
時刻表がズラーッと並んでいます。 ここからエストニア全域に向かうバスが走るのですから本数も多いです。
エストニアだけでなくラトビア・リトアニアやサンクトペテルブルク行きのバスもあります。
長距離バスと言えば日本では水曜どうでしょうという番組で「はかた号」という博多から東京まで怒涛の1000kmを走るキングオブ長距離バスがありましたね。
1000kmもバスに乗っているとお尻が痛くなって体調がおかしくなるそうですが。(お尻が取れる悪夢が見えるそうですが)
ヨーロッパでざっと調べた長距離バスの中には「タリン − ベルリン」行きのバスがありました。その距離およそ1500km。
凄まじい長さですが、知人のエストニア人の方がこれに乗ってベルリンまで行きました。たくましい。
EUでは国境管理が無くなっているので人々の移動の感覚がすごく大きくなっている気がします。
というわけでスマホからバスのチケットを見せて乗車。途中小さな町を経由しながら数時間でナルヴァに着きました。
ナルヴァの第一印象
ナルヴァに着いてみてまず思ったのは「えらく寂れてるな・・・」ということでした。
街中とこを見渡しても建物が汚いというか、整備がされていないというか、そんな印象でした。
壁が修繕されていない建物が多い。
寂れてる
ナルヴァが寂れている理由
調べた訳でもないのですが、僕が個人的に思うにナルヴァにはエストニアの中央からお金が流れて来ていないような印象を受けました。
それはエストニア人とロシア系住民との過去から続く微妙な関係からだと思います。
公共の投資が全く無いのだと思いますし、民間の投資もないように見えます。
要するに他のエストニアの地方都市と比べても圧倒的にお金が流れて来ていないということです。
例えば、以前行ったエストニアのパルヌと比べると雲泥の差です。お金が流れているところは建物が綺麗です。
エストニア各主要都市に行きましたが、ナルヴァだけ明らかに建物がボロボロです。
(過去記事)
ナルヴァでもエストニア政府の息がかかった建物はピカピカでした。以下はタルトゥ大学のナルヴァ分校
エストニア人とロシア系住民の微妙な関係
ナルヴァの建物がボロボロなのはエストニアとロシアの過去の微妙な関係が理由だと思います。
エストニアはロシア帝国の一部でしたがロシア革命の時に独立しました。そのわずか23年後に再びソ連に占領されました。その後他のソ連の衛星国と同じようにソ連崩壊まで事実上の属国として不遇の時代を過ごします。
エストニアの兄弟国であるフィンランドに住む70歳の人にソ連時代のエストニアについて聞くと、「ソ連時代のエストニアを一言で表すなら『depression(憂鬱)』だったと言っていました。
悲しい(sad, tragedy)どころではなく depression という言葉に当時の深刻さが伺えました。ソ連下での衛星国での生活は悲しいとか辛いというレベルではなく、ただただ絶望の日々だったのだと思います。
以下の記事にタルトゥのソ連時代の収容所博物館の写真があります。拷問を含めたひどい状況が展示から垣間見えます。
最近ロシアに武力で制圧されたウクライナの東部のクリミアもそうですが、旧ソ連で衛星国だった国にはソ連時代からのロシア系住民が多く住んでいます。そしてプーチン大統領は旧ソ連国のロシア系住民も含めて「1つのロシア」だと宣言しています。ソ連時代のソ連は衛星国を容赦なく冷遇しましたが、ソ連崩壊後も特にプーチン政権になってからも、旧衛星国への圧力はただならぬものがあります。ソ連崩壊時のバルト三国の独立承認の取り消しをいまさら仄めかしたり、ロシア国内でエストニア人がおそらく政治的な意図で逮捕されたり、今でも様々な嫌がらせがあります。「いつロシアに国を取られてもエストニアという国のアイデンティティはサーバー上に残したい。」というのがエストニアが電子立国になった大きな理由だそうです。
とにかく何が何でもロシアの覇権主義をエストニアから絶ちたい。それがエストニア人の心の底に間違いなくあると思います。
それは日常でも顕著です。例えば僕が見た中では、年齢が上の世代だとロシア系住民を完全によそ者扱いしたりする人もいます。ただでさえエストニア人は大人しいのでロシア系住民を完全に無視する形になることも多いです。私はあなたとは最低限のことしか話ませんよという明白な態度を見せる人が年配だと多いです。
もちろんエストニアに住むロシア人はエストニア人を支配したいなどとは思っていなくて、ただただ普通に生活がしたいと思っていると思います。
ただロシア系住民はエストニア人よりチャキチャキしてる人も多く、声も身振りも大きいです。対象的にエストニア人は世界レベルで大人しい。過去の複雑な歴史もあり、お互いに心置きなくコミュニケーションを取るのは中々難しそうです。
というわけで個人的にはプーチンには隣国に不必要なプレッシャーをかけるのは絶対にやめて欲しいと思っています。どう考えても国内の異民族の共存共栄にはマイナスでしかないので。まあウクライナを見る限りプーチンは絶対止めないでしょうけどね。(諦め)
プレッシャーをかけるどころか物理的に暴力で攻めていくまでやるのが今も昔もロシアの外交戦略です。エストニアはこんなロシアに対処しないといけません。そこには綺麗事が全く通用しないです。
なんとかならないかなあと思いますが、プーチンが実権を握っている限りは今後も難しそうです。
もちろん若い世代の間ではロシア系の友人がいるというエストニア人も割といたので、変わってきているのでしょうが。
ナルヴァにある有名な大聖堂へ
というわけで気を取り直して、ナルヴァにある「キリスト復活の大聖堂」に行きました。
がっしりしてる。
重厚な十字架
正教会なので偶像崇拝できる。下にあるドクロマークが気になる。あれパンクとか海賊とか反骨のシンボルだと思ってたけどルーツが正教会なのか・・・?
豪華ですね。
ドーム
こっりの像にもドクロマークがありますね・・・マジでルーツはキリスト教だったのかも・・・個人的にミッシェルガンエレファントというロックバンドを思い出します。
マリア
12使徒。ところでエヴァンゲリオンの使徒って12使徒と関係ないんですね。
心が洗われました
キリスト教徒ではないですが、心が洗われた気がしました。
ナルヴァの治安は全然悪くない
外務省のページには治安はわからないといったことが書いていましたが、個人的にはナルヴァの治安は全然悪くなかったです。
通りがかったおばあさんに挨拶すると笑顔でした。スーパーに入ると珍しいのか、子供に「日本人だ!」と言われました。
あとエストニア全土に言えることですが、そもそもナルヴァの人口密度がとても低かったです。ほとんど誰も歩いていない。
という訳でナルヴァ編 前編はここで終了。
ロシア国境 ナルヴァ城散策は後半へつづく
当ブログのエストニア滞在記シリーズは下の画像をクリック
https://selohan.com/category/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A2/